「家庭に絵本があると、子どもとの時間に変化ができて、子どもといるのが楽しくなります」「絵本は親と子の良い気分転換です」「絵本を読んであげるようになって、子どもがいっそう愛しく思えます」「子どもと一緒に絵本を楽しんできて、これが私の子育てと、思えるようになりました」 …………
(親の皆さんの声)
子どもはお話しが好き、絵本が好きです。そして、絵本は多くの恵みを子どもにもたらします。私たちは三十年近く、子どもと絵本にかかわってきて、このことを確信しています。
また、その間、たくさんの親の皆さんとも出あってきました。その方々が、一様に、最初のご紹介のように言われます。このことは、絵本は子どもにだけ恵みをもたらすのではなく、子どもと一緒に絵本を楽しむ親(大人)へも、同じくらいの恵みをもたらすことを語っています。そうなのです。絵本は、こんなにもふしぎな魔法の力をもっているのです。
さて、そこで、私はこれから、この魔法を、少しだけ解いてお見せしようと思います。まずは、子どもにとっての魔法から。そして、それは、親(大人)である皆さんにとっての魔法でもあります。
絵本が魔法の力をもつには、なにより、質の高いものであることが必要です。絵本であればなんでもよいというわけでは決してありません。(でも、街には“良いもののよそおいをしたもの”があふれていますね。)
幼年期の子どもは、たいへんな勢いで成長しています。その成長のときに、できるだけ質の高い、すぐれたものを伝えたい。そのようなものこそが、子どもを豊かに育てる力に恵まれているからです。
このような恵みをもつ絵本が、ごく少ないのですが、確かにあります。けれど、そういう絵本と巡りあうには、そのための眼力が必要です。私たちは、専門的な立場でそのお手伝いを続けてきました。
では、すぐれた絵本とはどんな絵本のことでしょうか。そして、それは、子どもに、どんな良いものをもたらすのでしょうか。絵本の三つの要素 ── (1)絵(2)言葉(3)物語り ── にそって、簡単に述べてみます。
1.美しいものへの感性
子どもは絵本を読んでもらいながら、いっしんに絵を見ています。絵本の絵は、子どもに見つめられるに足る美術であってほしい。そうすることで、子どもに、美しいものへの感性を育てたいと思います。子どもに媚びた漫画的な絵や、いわゆる“かわいい絵”が絵本の絵にふさわしいのではありません。
こうして、私たち童話館は、絵本の絵を美術として展覧する場として、長崎市内に「祈りの丘絵本美術館」を運営しています。
2.言葉をはぐくむ
すぐれた絵本は、洗練された美しい日本語によってつづられます。子どもは、未知の美しい日本語を、親の声で読まれる物語りの楽しさにのせて、身につけていくのです。絵本を読んでもらっている子どもの言葉の発達が早く、表現も豊かなのは、そのためです。
言葉は、考え、思い、学び、伝えあうための手だてです。言葉が豊かになることは、考えや思いが豊かになることです。それは、人が人らしく生き、社会のなかで人とかかわりをもって暮らしていくうえで、どんなにか大切なことでしょう。
これほど大切な言葉の力は、乳幼児期の、親から子への語りかけや、絵本を読んであげるという、温かく、人間的なふれ合いをとおして、より豊かに得られていくのです。
3.子どもの真の姿を描く
絵本の(1)絵と(2)言葉によってつづられるのは、(3)物語りです。その物語りが、真に子どもの心の姿と響きあっているかどうかが、すぐれた絵本なのか、子どもに支持されるかの、分かれめです。
でも、私たち大人は、そのような子どもの心から遠く離れてしまいました。そこに、子どものための絵本を選ぶむずかしさがあります。そのため“絵本作家”と自称する人達の、ただの思いつきや絵日記に過ぎないようなものを、絵本だとかんちがいしてしまうのですね。
それに加えて、たとえば、三才と五才の心の成長には、ずいぶんと開きがあります。そうすると、すぐれた絵本であっても、その子の心の成長に応じていないと、ミスマッチということになりかねません。 (それが、「童話館ぶっくくらぶ」のコース別編成に生かされています。)
私たちは、今を生きる子どもの、深いところの心に寄りそい、よりよく生きようとする子どもの心を励ましていけるような、そんな絵本を手渡していきたいと願っています。
さて、子どもの心の成長に応じた、すぐれた絵本を手にしたとしても、それをそのまま、子どもへ渡すのでは、せっかくの宝の箱は開きません。宝の箱を開くには特別の言葉が必要です。それは、絵本を読んであげる親(大人)の言葉です。
つまり、絵本とは、子どもが文字を読めるようになって、自分で読むのではなく、子どもに読んであげることで生命のかよう本なのです。
では“特別な言葉”によって開けられた箱に輝く宝のなかから、三つの宝をご紹介しましょう。
1.本と仲よしになる
小学校などでお話しをすると、たいてい次のような質問があります。
「うちの子は四年生ですが、本を読みません。(つまり、読めません。)どうしたらよいでしょうか?」
このことは、文字は読めても本が読めるわけではないことを示しています。それは、どうしてでしょうか。
本を読むということは、 本の言葉を頭のなかで絵(イメージ)に描き、それを瞬間的に連続させていくことです。それなしには、人は本を読み進めることはできません。
そして、絵本を読んでもらうことは、絵本の言葉を、絵本の絵に助けられて、頭のなかに絵として描いていくことです。絵本を読んでもらっている子どものなかでは、目の前の絵本の絵は、すでに静止していません。物語りを追いかけるように変化していきます。そうやって、次の頁の絵との間の実際には見えない絵を、まるで映画のフィルムのように、心のスクリーンに映しだしているのです。そのときようやく、物語りを理解し楽しむことができます。
子どもが文字を拾い読みする姿はほほえましいものですが、それだけでは本を読むことにはなりません。
この「眼に見えないもの(絵)を見る力(想像力)」こそが、今、絵本を楽しみ、将来、自分で本を読めるようになるために必要な力です。その力は、絵本を読んでもらうことによってつちかわれます。これは過保護でもなんでもありません。子どもが、絵本や本と仲よしになっていくための自然な道すじなのです。
2.生きることを語る
ところで、文字を習得する前後の、およそ五才から七、八才という年令は、子どもが自分をとおして人間を見つめ、また、社会との接点に立とうとする年頃でもあります。そんな彼らに、人生の先輩として、親として語り伝えておきたいことは、さまざまあるように思います。
けれど実際には、あわただしい暮らしのなかで、そんなに大切なことであっても、子どもに直接語ることはなかなかできるものではありません。それに、どのように語ればよいのかもわかりません。そうなのです。そのためにこそ、人々は物語りを生みだし、物語りに託して語ろうとしてきたのです。その物語りが、現代では、絵本や本になっているのですね。
一方、この年令の子ども達は、自分で読める程度の絵本(本)からは、そのように深いものを読み取ることはできません。
聞く、話す、読む、書く、という言葉の力のなかで、最も早くに発達するのは、聞く力です。子どもは、絵本を読んでもらえれば ── つまり、聞くことができれば ── ずいぶん深い内容を理解できますし、情感を深めていくことができます。
そうです。私たちは唯一、そのような深さをもつ絵本(本)を選びだし、読んであげることで、親として語っておきたいと願うことを、親自身の言葉で(物語りの言葉を借りて)子どもへ語り伝えることができます。
(ですから、小学低学年までは、絵本を──それも、深いものをたたえたすぐれた絵本を──読んであげる時期だとお考えください。その時期を無事に通過できれば、子どもはいつのまにか、自分で楽しんで読めるようになります。)
親として語っておきたいと願うこと。それは、改めては口にしにくいけれど、人間として大切なこと ── 愛し愛される、自分を見つめる、人間の洞察、正義と善、友情、一歩踏みだす勇気、やさしさ、ユーモア、悲しみや喜びへの共感、支えあって生きる、働くこと。
そうやって、彼らに、社会への道すじと人生への励ましを語ることができます。そして、もしかすると、このことが、子どもを育てるということの意味なのではないでしょうか。ここにこそ、絵本の最も大切な価値があると、私は考えています。
3.なにより、愛の表現です
子どもに絵本を読んであげることは、実は、さらに大きな恵みをもたらします。それは、絵本を読んでもらうことは、自分へ向けられる直接の愛の表現だと、子ども自身が知っているということです。
その時間は、子どもにとって文字どおり、からだも心も親に抱かれ、なにかしら甘えも満たされて、丸ごとの愛を感じていられる時間です。
絵本を読んでもらうことで、日常とはちがう、もうひとつの世界──心のできごとの世界 ── を親とともに味わう喜びが子どもを満たしています。絵本を読んでもらっている子どもの表情がおだやかで、言動にも落ちつきがあるのは、彼らが言葉の愛に満たされているからです。(本当は、これが一番の宝なのですね。)
親と子であれ大人どうしであれ、言葉をとおして心の世界を共有できたと感じられるとき、人と人は深く結びつくのですね。
このようにして、言葉をとおして、たましいの奥深くへ届く愛を存分に受けて育った子どもは、自分自身を愛し、自分と同じように他の人を愛し、尊重することができます。そうやって、人への愛と信頼を身につけていきます。折にふれ、人への愛と信頼を表すことのできる子ども、また、そのようにして成長してきた人が、他の人から愛されない、信頼されないということがあるでしょうか。
もちろん、絵本を読んであげるのは母親だけの役割ではありません。それに、子どもへ人生や社会への道すじを語るのは、むしろ父親(父性)としての役割ではありませんか。そして、このような時間を子どもと共有することで、父親も確かに親となっていくのです。(私も、そうでした。)
今、子ども達の苦しみの多くは、無償の、ただ温かく抱きとめられるだけの愛に満たされていないからだと、私は思います。親の気に入る“良い子”でいることで、その交換条件のようにして愛情が与えられる、と子どもが感じているのだとしたら……。ここにも、子どもや思春期の人達による、社会的な現象や事件の背景があるのではないでしょうか。
さりげなく素朴に、絵本を読んであげる。それだけで、私たちは、子どもが切に望んでいるものを手渡すことができます。
以上の「1. すぐれた絵本を 2. 読んであげてください」が、子どもが絵本と仲よくなるための前提です。
親の皆さんからおたずねを受けることがありますが、多いのは早期教育的なものについてです。幼年期のお子さんのいる家庭には“お話しもお勉強も”のキャッチフレーズで、月刊の雑誌と教材のセットなどの勧誘がさかんに行われているようです。私は、このようなおたずねには次のようにお答えしています。
(1)子どものためのお話しを、あまりに低く安易に考えていないでしょうか。毎月量産され読み流される雑誌に、子どもにふさわしい作品を見つけられるか、とても疑問です。
(それは、幼稚園や保育園をとおして購入することのある、廉価の月刊絵本についても同じことがいえます。)
物語りやお話しに数多く接することが大切なのではありません。真に心に響く作品に出あうことで、物語りやお話しは、みずから、かけがえのないものになります。お手軽な物語りやお話しは、かえって子どもに、それらへの興味を失わせ、ひいては、本への信頼さえ損なうでしょう。
(2)お勉強も、に魅力を感じておられるのかもしれません。「小学校へあがって人並みにやっていけるように…」という、親としての気持ちはよくわかります。でも、「早くに走りだせば、それだけ多くの実りが得られる」というほど、人間は単純にはできていないようです。
また、就学前の幼児教室や塾も盛んなようです。でも、それらは子どもにとって、良いことなのでしょうか。
このことを、ここで詳しく述べるゆとりはありませんが、ひとことで言えば、この年令の子どもは“お勉強”をする時期ではありません。そうではなくて、近い将来、勉強ができるようになるための土壌を、深く耕していく時期です。耕されていない大地に種をまいたところで、力強い苗が育つでしょうか。
子どもは今を生きる人。今を存分に子どもらしく生きることが、未来につながることを信じていましょう。
絵本は楽しむものです。心を高く押し上げていくものです。そのことを忘れてはいけませんが、実は学びについても、結果として、いくつもの恵みをもたらしているのです。
(1)言葉の力
(2)言葉をつなげて新しいものを組みたてる力(想像力)
(3)お話しを集中して聞く力
(学校での学びはほとんど先生の言葉を聞くことで成りたっています。)
(4)抽象的な思考力
(5)活字や本への親近感
(6)知的な好奇心 / ………。
新一年生の担任を経験してこられた、ベテランの小学校の先生の言葉です。「毎年、クラスに一人くらいは、おうちで絵本をよく読んでもらってきたんだね、とわかる子がいます。教師の話をまるで吸い取るように聞いています。そんな子は、もともと、“絵本を読んでもらうようにして育てられて”いますから、学習をはじめ、全般にわたって、まず心配のない子ですね」
ほんとうに大切なものは、おのずと、あとからついてくるものです。そうやって身についたものこそ、真に力をもつのですね。
現在のように、子どもの周りに、子どもの関心をそそるものが多くあると、子どもと絵本を近づけるには、工夫と動機づけも必要です。
自分のところのことで恐縮ですが、「童話館ぶっくくらぶ」が、わが国最大の絵本の配本システムとして、ひろく支持されてきた背景には、この動機づけがあったからでしょう。それは、次のようなことです。
(1)毎月、継続的に、無理なく、
(2)その子に合った、すぐれた絵本が、
(3)自分の名前の小包で届く。(それも長崎から。子どもは、小包を楽しみにするうち、いつしか中身の絵本を好きになっていく、というわけです。)
これまで述べてきましたように、絵本は子どもに、人間としての力と恵みをもたらします。そしてその副産物のようにして、親と子の絆を深めていくのです。けれど、一方で、この絆を危うくするものも、家庭には存在します。
それは、テレビなどの電子メディアです。テレビでもついていないと、子どもとの間がもてない、というお気持ちもわかります。でも、家庭で多くの時間を占めるテレビは、子どもの言葉の発達を遅らせ、意欲や集中力や思考力など、人としての力を弱めていくばかりです。
子どもの前では、できるだけテレビを消してみませんか。そのなかから、きっと、子どもと過ごす新しい時間の発見があると思います。おしゃべり、お絵描き、折り紙やあやとりなどの種々のあそび(私どもも『子どもとたのしむ101のあそび』(童話館出版)をとおしてお役に立とうとしています)、それに散歩やお手伝い…。
どうぞ、家庭に静かな時間をとりもどしてください。その静けさのなかから、ほんらいの家族の姿がよみがえってきます。そうして、子どもとふれ合い、語らい、あそび、絵本を読んであげてください。そうすれば、何も心配することはありません。
すぐれた絵本の物語りには、先に生きた人々の、子育ての知恵が語りこまれています。絵本のある子育てをとおして、親だけの孤立した子育てから、多くの人々の経験や知恵とともにある子育てへと、提案したいと思います。




















